スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

逆境こそチャンス

今回はアサヒスーパードライで有名になった樋口廣太郎の『知にして愚』

『大丈夫!必ず流れは変わる』、『樋口廣太郎の元気と勇気が出る仕事術』

『前例がない。だからやる』の考え方から、第二回目

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


樋口氏の言葉の中から心に響いた言葉をいくつかご紹介します。


“やればできる”と信じれば“できる”

他人のまねをしているだけでは“やり遂げた”という感動を味わうことはできない。

働いていく中で、自分達のためになる何かをしたいという気持ちがあるのなら、

オリジナルな意識が不可欠。

自分で何かを創り出すという気持ちを持つことがまず大事ですね。



“逆境”こそチャンス

逆境は悪い部分ばかりなので、失敗を恐れず何事にも果敢にチャレンジできる。

だから逆境にはチャンスがごろごろ転がっているということ。

順境というのはいわば“ぬるま湯”なので、そこに飛び込んでもたいした刺激は

得られないけれど、逆境の方はものすごく刺激に満ちています。

やるべきことが山のようにある。

これほどやりがいのある環境はないんですよ。

僕の頭には逃げるという言葉はないんです。

そこがダメなら別の方法、違った道での解決の方法があるかないかを

見ようとすればいいんです。


明るくしている方がいいことがある

ネクラな人やネクラな見方をしている人にはチャンスなんかやってこない。

逆に明るくしていれば、自分自身の視野も広がるしチャンスの芽が

見えてくるものです。

好奇心、つまり物事をおもしろがってみることですが、

何事も関心や興味を持って見なければ、その物事の本質は見えてきません。

関心や興味を持ち、さらにおもしろがって見ることができれば

チャンスの方が寄ってくるもんです。


夢や目標は人生の原動力だ

夢や目標は、いわば人生の原動力。

逆境やさまざまな苦しいことに負けないで、前進していくためには夢や目標が

なければなりません。

どんな世の中であっても、どんな環境であっても、夢も目標も持てるんです。

第一に必要なのは、まず自分自身をしっかり見つけること。

“自己発見”に努め、自分自身を突きつめ、自分の中の可能性を探ってみる。

またそれだけでなく、世の中のあらゆるものに好奇心を向けることは

自分の可能性を広げることになり、夢や目標を持つことになります。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご購読の皆さんへ

樋口氏は町の布団屋の息子で、小学校の頃は負けん気が強く喧嘩ばかりしている

ガキ大将でした。

他の先生方が顧みてくれない中、たった一人やさしくしてくれた先生の言葉が、

その後彼が困難を乗り切る糧となっていたといいいます。

「樋口君、あなたにはあなたにしかない何かがある。

そんな素晴らしい何かを持っているのだから、自身を持って進んでいって欲しい。

うそだけは言わないで、自分の気持ちを全部出すようにして伸び伸びとやっていきなさい。」

この言葉どおり、彼は自分にしかない何かを求めて行動する中で自分の可能性を大きく

広げていったのです

誰だって自分にしかない何かを持っているのです。

何事も努力すると見えてきます。そう信じております。

樋口広太郎の元気と勇気が出る仕事術―創造型ビジネスマンをつくる仕事十則・管理職十訓

中古価格
¥1から
(2012/6/13 11:55時点)



前例がない。だからやる!―企業活性にかけた私の体当り経営

新品価格
¥1,020から
(2012/6/13 11:55時点)



スポンサーサイト

逆境こそチャンス

こんにちは。

今回はアサヒスーパードライで有名になった樋口廣太郎の『知にして愚』

『大丈夫!必ず流れは変わる』、『樋口廣太郎の元気と勇気が出る仕事術』

『前例がない。だからやる』の考え方から。


まずは経歴から。

1926年京都府京都市に生まれる。
1949年京都大学経済学部卒業。同年住友銀行入行。
1965年から3年半、堀田庄三頭取の秘書役を務める。
1973年取締役、1975年常務取締役、1982年、56歳の副頭取就任は、住友銀行の最年少記録であった。
1986年3月、住友銀行副頭取からアサヒビール社長に就任。
翌年、新製品「アサヒスーパードライ」を発売、大ヒットさせ同社を再建、
業界第2位に躍進させた手腕は高く評価されている。
1992年から同社会長を務める。95年から経団連副会長に就任。
経団連副会長など数多くの公職をつとめ、財界人として活躍している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アサヒビールが毎年のようにシェアを落とし続け周りからは

「夕日ビール」と呼ばれるほど経営が悪化している最中、

住友銀行の副頭取からアサヒビールの顧問を経て社長に就任し、

翌年日本初の辛口ビール「スーパードライ」を大ヒットさせ、

低迷していたシェアを飛躍的に伸ばした凄腕の経営者である樋口廣太郎。

彼が成功を収めた要因の一つとして、企業に働く人々の価値観の多様化に伴う、

“会社組織”に対する意識改革が挙げられる。


<金太郎飴集団から桃太郎軍団に>

金太郎飴集団:どこを切っても同じ顔が出てくる単一価値観の人間の集まり

高度成長期の時代はワンパターンの人材を揃えることでパワーを発揮できたけれど、

今のような成熟化、価値多様化の時代は金太郎飴集団では的確な対応ができません。

そこで私は、桃太郎軍団のような集団になろうといっています。

会社組織はいろいろなタイプの人がいるからおもしろいのです。

桃太郎軍団には、人が登れない高いところに登っていける戦略性と

機略性を持ったサル型の人もいれば、

優れた嗅覚とスピード、忠誠心、人より低い視線を持つ犬型の人、

空を飛んで俯瞰的な視野と奇襲性を持つキジ型の人もいる。

さらにリーダーの桃太郎を含めてそれぞれの視点の高さに違いがあり、

それぞれの個性と能力が見事に組み合わされています。

この異能集団の力が、鬼退治という共通の目標に集結しているところが

桃太郎軍団の強みになっているのです。


<ウィズアップの気持ちで>

今の日本に必要なのはみんなで共に上昇していく「ウィズアップ」の意識です。

それぞれが自分の夢を持ち、それを語り合いながらお互いの夢を実現するために

切磋琢磨していく。

そういう意識が世の中に浸透した時、この国は大輪の花が咲き誇る素晴らしい社会に

なるのだと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ご購読の皆さんへ

会社に働いている限り、様々な考え方の人たちがいる。

自分にとって「変わった人だあ」と思っていても、会社の中では仲間です。

仲間は会社の方向性に合っているからこそ、つながっているという意識。

それが大切です。

また、樋口氏が著書の中で引用しているフランスのノーベル賞作家、

アナトール・フランスのこんな言葉を心にとどめておいてもらえたらと思います。

『新しい世界に生きようとするならば、前の世界のことは死滅させねばならない』

誰でも今の(もしくは今までの)自分を否定したくはないですし、

新しい世界に踏み出すにしてもできることなら

過去の実績(例えば学歴、経験、ものの考え方)を次の世界へ持ち込みたいものです。

でもそれは余計な荷物になることが多く、新しい世界での判断を鈍らせる元凶になります。

“自分”をしっかり持つということは大切なことですが、

それをあまりにも極端に振りかざしてしまうと、知らず知らずのうちに

自分にとって有益な情報を聞き逃したり、めぐってきたチャンスを棒に振ってしまうことがあります。

ですからせっかく訪れた自己成長の機会を無駄にしないためにも、

色眼鏡をはずしてまずはまっすぐな気持ちであなたの目の前にいる人たちと接してみてください。

それが自己成長にもつながると信じて。



だいじょうぶ!必ず流れは変わる (講談社プラスアルファ文庫)

中古価格
¥1から
(2012/6/13 11:48時点)





後悔は“しなかったこと”に対してするもの

こんにちは。

今回は、『俺様の宝石さ』の浮谷東次郎氏をご紹介いたします。

まず、浮谷東次郎氏の経歴から。

1942年 7月16日、千葉県市川市に生まれる
1949年(7歳)日出小学校入学。スクーター、オート3輪車、
   小型4輪車などの運転を覚える。
   ソロバンと柔道の塾に通い、カメラを使いはじめる
1957年 15歳で千葉県市川市と大阪往復、「がむしゃら1500キロ」を刊行
1958年(16歳)両国高校入学。側車付自動2輪車、小型4輪車の免許を取る。
   ヤマハYD505を購入。
1960年 10月29日 渡米
1961年(19歳)ニューヨーク市市立ローズ高校夜間部へ入学。
   2月20日 タイム&ライフ社へ勤務。
   6月 ローズ高校を去る。
   7月18~24日 ニューヨークを出発。
   ネプチューン運送会社の大型トレーラーに便乗。
   大陸横断、ロサンジェルスへ。
   9月 カリフォルニア州立マウント・サン・アントニオ・カレッジ入学。
1962年(20歳)6月出席日数不足のため退学。
   7月4日 大陸横断往復、オートバイの一人旅に出発。
   11月18日 パモーナ帰着。
1963年(21歳)ホンダ代理店でメカニックをしながら、オートバイレースに出場。
   6月に帰国し、9月日大農獣医学部へ入学。
   11月トヨタ自動車と1ヵ月の専属契約を結ぶ。
   雑誌に寄稿をしながら、鈴鹿サーキット通いと学校通い。
1964年3月日大を退学。
   5月日本グランプリレース初出場11位。 12月優勝。
1965年1月(23歳)トヨタと再契約   
   5月、7月レースで優勝
   8月鈴鹿サーキットで練習中に事故練習中に突如コースに入ってきた
   二人の人間を避けて事故を起こした
   救急車の中で彼は「コースに人がいちゃあ走れないよ」と言った
   8月21日 23歳の若さでこの世を去った

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

浮谷東次郎氏とは、

彼は23歳の若さでサーキットに散ったレーシングドライバーである。

1960年10月、18歳で在学していたエリート高校を残り4ヶ月のところで中退し、

横浜から船でアメリカへ渡った。

アメリカでの2年間の放浪中に家族への手紙やメモをもとにまとめられたものが

「俺様の宝石さ」である。

今から40年ほど前の話だが、全く古さを感じさせない。

そこには時間の経過とは関係のない人間の成長、理想を求め正直に、

がむしゃらに行動する姿が描かれているからではないかと思う。

旅の間に自分に対する真の自信、immatureならimmatureなりに

自分の向上する能力に対する自信をもてたような気がします。

ことによったらまだ、本当の自信ではないのかも知れませんが、

それでも僕には大きな進歩です。

人間の地盤のない肩書きは基盤になりえません。

うぬぼれであろうがなかろうが、僕はこのアメリカにいる間になんとかその地盤、

またはその地盤の基のoriginal beginning(根源的な出発点)を

作り始めたような気がします。これ以上の収穫はありません。

これは東次郎がアメリカに渡ってきてから2年目を迎え、

彼が20歳になったときのものだ。

ハタチという言葉の響きに抵抗を感じ、なる前までは怖くて恐ろしくて残念で・・・。

ただ、今は20歳であることはちっとも怖くありません。

と2年間での自己の成長を感じての東次郎の言葉である。

日本にいるときはオートバイを自分でいじくらなかったし、

またいじくるのが怖かった。

しかし真剣に取り組めば怖いものはないのです。

何もやらないでいると、自分を自分の現在の位置にとどめておくのが精一杯。

実はやるのが怖いのではなく、自分が自分にうぬぼれ、

またはselfconfidence(自信)をなくすのが怖い。

むしろ失敗を恐れるのでなく、自分が後退するのじゃないか、というのが怖いのです。

しかし一度やりだしてみると、次から次に新しい世界が開けて、

その中に入っていく以外の道はなくなります。

後悔というのは自分がしたことにするのではなく、

しなかったことに対してするものらしいですね。

つくづく感じます。(中略)

チャンスというか、運というか、幸福と言うか、lifeというか、

とにかく自分でつかむものであって、向こうからやってくるものじゃないです。

“Wherever the man may be,the spring will come.”

どこにいようと春はやってくる)なんてうそです。

”Wherever the man be,he’d have spring to take,it’s up to him.”

(どこにいようと自分でつかめる春がある。春はすぐそばにあるのだ)です。

東次郎が日本への帰国を目の前にして2年間の自分を振り返っての言葉である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご購読のみなさんへ

後悔というのは結果に対してするものだと思い込んでいました。

しかしそうではない・・・と。

確かに東次郎の数々の滞在中のエピソード読んでいると頷ける。

まず、単身でアメリカに行くと決めたこともそうだと思います。

そして、自ら行動すること、それが後悔しないことで、

一番大切なのだと教えてくれていると思います。

皆さんまず、行動を心がけて頑張っていきましょう。

俺様の宝石さ (ちくま文庫)

新品価格
¥735から
(2012/1/31 10:07時点)



人から信じられる大切さ

こんにちは。

今回は『これがサンリオの秘密です』の辻信太郎氏の考え方を参考に。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

辻信太郎と聞いて知っている人は少ないと思いますが、

「キティちゃん」と聞けば誰もが知っていることでしょう。

そうです、辻信太郎氏とはサンリオの社長であります。

ただ40年間サンリオの社長をしてきた中で、

安全レールをずっと走り続けていたわけではありません。

この10年というものは辻氏もサンリオもどん底の淵にあえいでいました。

株も90年には最高値9040円だったものが94年には640円にまでに落ち込み、

経営者としては最悪の烙印を押されたのも同然の屈辱を味わったのです。

しかしそんな時こそ辻氏はこのように考えていたそうです。

「つまずいて転げ落ちるたびに『また這い上がって見せる』という闘志を忘れず、

失敗するたびに、つまずくたびに強く大きくなっていく自分をイメージしながら、

5年先、10年先のビジネス像に思いをはせるのです。

また、苦しいと思うことは自分が生きているからなのです。

生きて夢を諦めず、私自身を忘れなかった“企業家・辻信太郎”であり続けようとしたのです。」

目標を持ち、それを夢のまま終わらせない信念の強さがそこにあると思います。

また、『儲け』という言葉についてもこんな話をしています。

「『儲け』とは『お金を稼ぐ』ということだけではありません。

サンリオは今日まで40年発展的に事業をしてきました。

振り返ってみると、たいしてお金はたまったわけではないけれど、

私は『大儲け』したと自負しています。

その原点は『儲け』という字にあります。

『儲』の字の部首は“イ(にんべん)=人=自分”と考えることができます。

その意味は“自分と相手を言葉でつなぐ”ということになります。

また『信』と『者』に区別し、『信じるものは救われる』

それが『儲け』と読めるわけです。

『儲け』には『お金』という言葉が入っていません。

『人から信じられること』、

『人から尊敬されること』というのが大切ではないでしょうか。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご購読の皆様へ

決して諦めずがんばるということ=苦しみは生きているからこそ感じることであり、

それを乗り越えた時の喜びと同時に自分が一歩成長した証になると思います。

皆さんも夢を持って尊敬される人物になりましょう。

これがサンリオの秘密です。

中古価格
¥834から
(2012/1/31 09:50時点)




たった一人のワールドカップ

こんにちは。

今回から皆さんご存じの三浦和良氏の考え方を参考に。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<たった一人のワールドカップ>

98年、ワールドカップの年が明けた。

日本代表はワールドカップ・フランス大会へ向け、オーストラリア合宿、

御殿場合宿と調整を開始。

続くダイナスティカップ、キリンカップと日本代表はまたも決定力不足を露呈。

不安材料を残しつつもヨーロッパへ出発した。

日本代表はスイス・ニヨンで合宿に入った。

ワールドカップ・フランス大会開幕まであと2週間。

直前合宿を行っていた日本代表は練習試合など順調にスケジュールをこなした。

一方カズは地元クラブチームとの練習試合で3得点を挙げるなど好調な仕上がりを見せていた。

翌日の記者会見で最終登録メンバー22人を発表。

チーム内はもちろん日本国内にも「カズ外れる」の衝撃が走った。

いずれにしても、“一人の人生”はワールドカップ開幕の1週間前に

大きく変えられることになった。

カズはスイス・ニヨンを離れ、イタリア・ミラノを経由して帰国。

代表チームは初戦に向け最終調整に入っていた。

20年間ひたすら追い続けてきたものが、しかも尋常でない情念で追い求めてきたものが、

するりと手からこぼれてしまった感覚はおそらく誰にもわからない。

『所属チームで1年、1年頑張って当然頑張った結果が日本代表につながって

ワールドカップにつながっていくと・・・。

大変だよね、だけどやるしかないもの。

積み重ねで。

サッカーも終わらないし、人生も終わったわけじゃないから。

やっぱり最終的には自分と戦っているわけだからさ。

自分自身ってことだよ。改めて。』

『僕は賭けていた部分もあるんです。

1発のシュートですべてが変わると思っていたから。

絶対にチャンスはあるから1発決めようと思ってたの。

そのために足を良くしたんだよ。

温存しつつ鍛えていたわけ。

これからいよいよ始まると思っていたんだよ。

やっぱり積み重ねがあって自分というものがあるからその1発が響くわけで

別に他の人が入れても変わらない場合もありますよ。

でも僕が入れたら変わると思ってた。

でも、しょうがないな、またどこかで1発変えないと・・・・』

「全日本をワールドカップに連れて行きたい」

90年夏、そう言ってブラジルから日本に戻ってきた男は8年かかってようやくそれを実現した。

しかし誰よりも長い間ワールドカップに夢を持ち続け、

誰よりも日本をワールドカップに近づけようとし、

誰よりも日本代表を心から愛していた男は、

大会開催地の隣国スイスまで来ていながら、

開幕日のわずか8日前にその地を去らなければならなかった。

また20年前と同じように一人TVで大会を見ることになった。

「彼は夢をかなえてきた人間でしょう。

大きな夢を引き寄せようとする信念みたいなものがある。」

(談:都並氏 元川崎ヴェルディ)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご購読のみなさんへ

今でも現役を貫くカズの精神力のすごさは上記の状況から生まれたものかもしれません。
大きな夢を持ち続け、日々の努力、これこそがパワーの源。
そのパワーを自分自身に。
そのメッセージがまとまった本があります。

蹴音―三浦知良伝説の言葉

中古価格
¥209から
(2011/12/3 18:25時点)










プロフィール

元営業ウーマン

Author:元営業ウーマン
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

フリーエリア
人気ブログランキングへ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。